「同情するなら金をくれ」
という言葉が、30年ほど前に流行った。
当時はピンとくることもなかったが、今すごく実感している…
昨日、X(旧Twitter)に以下のような投稿をした。
恥を忍んで告白しますが、ブログで稼げなくなりました。
事の始まりは2022年後半。 メインで稼いでいた仮想通貨ブログが、ブームの終わりにより収益が減ってしまいました。
そこで、別の収入源をと考えていろいろな事業に手を出したのですが、すべて失敗に終わりました。 (この話は機会があればnoteにでも書きます)
それでも昨年は少しは収益も出ていたし、預貯金もあったので、何とか乗り切れました。
しかし、今年に入ってからはブログの収益はほぼゼロ。 100円のnoteが少し売れただけです。 蓄えもあと少しになってしまい、とても夏を越せそうにありません。
そこで、週に3日ほど働きに出ようと思っています。 ちょうど今日、以前仕事をしたことのある派遣会社から、まずまずの仕事を紹介されました。
まだ決まったわけではありませんが、労働者に戻る方向になりそうです。 何か進展があれば、またこちらでご報告します。
なお、「ブログで稼ぐとか夢見ちゃってバカみたい」のような中傷は間に合っていますので、ご遠慮ください😌
そうしたら、通常の私ではありえないような
- 3700以上のインプレッション(普段の70倍)
- 34のいいね(普段の10倍)
- 3件のブックマーク(保存してどうするのか?)
を記録してしまったのである…
これを見て、私が思ったこと。
それは
「同情するなら金をくれ」
だった。
考えてみてほしい。
この投稿の趣旨は
「ブログ(個人のビジネス)で稼げなくなったので、労働者に戻る」
である。
見れば分かるように、私はビジネスに失敗したのだ。
これを書いた心情としては、当然ながらおもしろくない。
今までやってきたことを半ば諦める、ということであり、言い換えれば挫折である。
フリーランスからの転落。
都落ちした平家くらい、悔しい気持ちでいっぱいなのだ。
正直に言って、油断すると泣きそうである。
そんな悔しさを、どれほどの人が理解してくれるだろうか?
いや、ほとんどの人には分からないだろう。
そして、多くの人は
「大変そうだね、でもがんばって」
という応援の気持ちで「いいね」してくれているのだ。
しかし、悔しさにまみれ、屈辱にまみれた私にとって、「気軽な応援いいね」はありがたいけど、同時につらくもある。
みんなの同情の眼差しも、いたたまれないのだ。
(「だったら、あんな投稿するんじゃねーよ!」というツッコミは、まさにその通りなのだが、これ以上自分をごまかすのに耐えられなかった。許してほしい…)
また、そもそも「稼げないぜ」という嘆きに対して、もっとも効果的なのは何か?
賢明なあなたは、もうお気づきだろう。
そう、「売上」だ。
つまり、お金。
稼げない、というときにほしいのは、同情じゃない。
お金なの。
MONEYなのよ!
ってことで、
「同情するなら金をくれ」
と、心の底から思ったのであった。
なお、私が稼げなかった一番の原因は「私の提供した商品に価値がなかったから」に他ならない。
また、そもそもセールスが決定的に下手クソなのも、大きな原因である。
つまり、私自身の力不足であって、「周りが買わないから悪い」という話ではないので、あしからず。