正論は人を救わない

思うこと

先日SNSで見た言葉が、少し引っかかっている。

「物を減らせばストレスも減る」

「いつも探し物をしているのは片付けない自分のせい」

私のようなミニマリスト系の人が言いがちなセリフである。

それに対して、賛同するコメントやいいねがたくさん付いていた。

たしかにその通り。

持ち物を減らして部屋を片付ければ、物を失くすことは減る。

部屋の中で探し物をすることもなくなり、時間を無駄にしなくて済む。

しかし…

この言葉は、果たして困っている相手に届くだろうか?

これを言われたからといって、部屋を片付ける人がどのくらいいるだろう?

たぶん、ほとんどいない。

というか、本人も分かっているのだ。

(少なくとも頭では)

探し物をしたくなければ、部屋を片付ければいい。

そんなことは、分かっている。

でも、できない事情がある。

(と本人は思っている)

こういう相手に対して正論をぶつけても意味がない。

それどころか、相手は心を閉ざしてしまう。

正論に人を変える力はない。

そして、正論では人を救えないのだ。

 

では、なぜ人は正論を言いたがるのか?

おそらく、

「正論を言うのは気持ちいいから」

正しいことを言うのはとても気持ちがいい。

間違っていないので誰にも批判されない。

何なら、全知全能になった気分で世の中を見下ろした気分にすらなれる。

先ほどの

「物を減らせばストレスも減る」

「いつも探し物をしているのは片付けない自分のせい」

も、そうだ。

「自分はミニマリストで部屋は片付いている、探し物もしない」

「みんな私のようにきちんと片付ければいいのに」

と、上から目線で見ているのだ。

本人はアドバイスしているつもりかもしれない。

しかし、無意識のうちにそれができない他人を見下す気持ちが生まれている。

正論は言う人を誰にも批判されない存在にする。

正論を言う限り、他人の上に立てるのだ。

 

私も日常生活で、つい正論をふりかざしたくなることがある。

しかし、その正論で相手を変えられたことは一度もない。

きっと、無意識に見下す気持ちがあって、それを相手も感じるからだろう。

正論を言うのは気持ちがいい。

だからこそ、正論を言うことには慎重にならなければいけない。

正論では人を救えない。

人を救うのは、共感や理解、思いやりだ。

相手の立場になって発した言葉ならば、もしかしたら届くかもしれない。

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