不愉快を受け入れる

思うこと

読みかけのまま置いてある本があった。

短編小説がいくつか入った文庫本だ。

その作者のことが好きなわけではない。

というか、最近まで名前も聞いたことがなかった。

(その人に知名度がないからではなく、私が普段小説を読まないので疎いだけ)

読み始めたきっかけは、家族が図書館で借りてきた本。

猫についていろんな作家が書いた文章が載った本で、その作家が印象に残った。

だから、一度ちゃんと作品を読んでみたいと思ったのだ。

 

しかし、少し読んですぐにやめてしまった。

なぜかというと、読むと不愉快になるから。

話はふつうにおもしろい。

文章もうまいと思う。

しかし、主人公がどうにも不快な人物なのだ。

短編なのでそれぞれ違う主人公なのだが、全員不快だ。

身近にいたら絶対に嫌だし、ああはなりたくないと思うような人ばかり。

なので、読むとどうしても不快感に覆われてしまう。

それで、途中やめになっていた。

 

先日、「もう捨てようか」とその本を手に取った。

読んでも不愉快になるだけだし、捨てちゃおう。

不要なものは全部手放せばいい。

だって私はミニマリストだもの。

 

そのとき、ふと思った。

確かにこの小説は不愉快だ。

しかし、現実はもっと不愉快ではないか、と。

小説の主人公たちはどうしようもない人たちだ。

でも、私だって同じくらいどうしようもない人間ではないか。

そして、そのために私の人生もほぼ不愉快だ。

よくよく考えてみれば、人生に満足したり、毎日が愉快だったことなど、ほとんどない。

いい思い出よりも、嫌な思い出の方がはるかに多い。

何事も思い通りにならないことばかりだ…

 

そう思ったら、この小説をまだ読めそうな気がしてきた。

私は今すでに不愉快な現実に生きている。

人生の不愉快さを受け入れて生きているのだ。

小説の中の不愉快なんて、大したことないじゃないか。

それに、愉快な物語でいっとき現実逃避したって、無意味だ。

結局は、不愉快な現実から逃れられないのだから。

ならば、とことん不愉快と向き合ってやろうではないか。

 

私は本を棚に戻した。

そして、最後まで読んでみようと思った。

新たな不愉快を受け入れるために。

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