「置かれた場所で咲きなさい」がやっと分かってきた

思うこと

10年ほど前、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が流行った。

私は最近まで、この言葉が嫌いだった。

というのも、額面通り

「自分の置かれた状況に不満を言わず、我慢しなさい」

という意味で受け取っていたからだ。

しかし、最近その考えが変わった。

きっかけは「自分自身の体調の変化」である。

 

昨年の秋ごろから、体調があまりよくない。

今までほとんどなかった片頭痛が頻発するようになったのだ。

ひどいときは、頭痛で何もできず、一日中寝込むようになった。

そして、気分が滅入ることも増えてきた。

いわゆる「うつ状態」だ。

仕事をしないといけないのにやる気にならず、パソコンの前でぼんやりする日もあった。

こんなことは初めてだったので、どうしたらいいか分からずにいた。

 

こうして過ごすうちに、体調の悪さにも一定の周期があるように感じた。

そして気づいたのだ。

ホルモンの変化ではないか、と。

考えてみれば、私は46歳。

年齢的には「更年期」に入っていてもおかしくはない。

自分はいつまでも若いと思っていたが、体は確実に歳をとっていたのだ。

そうか、更年期か。

体調が悪いのもホルモンのせいだ。

気分が滅入るのもホルモンが原因だ。

そう思ったら、一気に心が軽くなった。

 

それまでは、

「体調が整わないのは自分の生活が原因なのか?」

「しんどいなんて甘えだ。みんながんばってるのに」

「なんとかやる気を出さないと」

と思っていた。

しかし、ホルモンのせいだと考えるようにしたら、ずいぶん違う。

「体調が悪いのも気分が落ち込むのも、自分のせいじゃない」

「ホルモンのせいだから、しょうがないよね」

と思えるようになり、諦めがついた。

そして、

「無理してがんばるのではなく、体調の悪さを受け入れるしかない」

という心境になったのである。

だって、ホルモンのせい、だもん。

私の意思でどうにかなるものではない。

もちろん、何もしていないわけではない。
体調を改善させるために漢方薬とサプリメントを飲んでいるし、ストレスをためない工夫などもしている。
おかげで、少しずつ改善してきている。

 

さて、ここで冒頭の言葉である。

「置かれた場所で咲きなさい」

これは、ただ単に「我慢しなさい」ではないと思う。

そうではなく、

「自分の力ではどうにもならないことを無理に変えようとするのではなく、一旦受け入れてみよう」

という意味だと、私は考えている。

逆に、自分で改善できることなら、変えていくのはむしろよいと思う。

しかし、世の中には「自分の力ではどうにもならないこと」というのも、確実に存在する。

たとえば、子は親は選べないし、誰も生まれる時代を選べない。

生み落とされた時代に不満を言ったってしょうがなくて、その環境に適応して生き延びるしかない。

その中で、自分ができることは一生懸命にやる。

できる範囲での最善を尽くす。

そういうことだと思う。

このように考えれば、

「置かれた場所で咲きなさい」

が、とてもポジティブで力強く感じられないだろうか。

 

私も自分の年齢や体調、どうにもならない環境などを、受け入れて生きていきたい。

そして、縁のあるものを大切にしたいと思っている。

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